アポロ計画から50年!人類への月への挑戦の歴史を雑学的にまとめる | 今日の雑学

アポロ計画から50年!人類への月への挑戦の歴史を雑学的にまとめる

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1969年7月20日にニール・アームストロングが人類史上で初めて月に降り立ちました。この記事を書いている2019年7月20日はちょうどその記念すべき日から50年になるんですね。

アポロ計画は50年も昔に行われた事業ですが、人類史上唯一、人類が地球以外の天体に到達するという偉業を成し遂げた事業です。

アポロ計画以外には人類が地球の大気圏から脱したことすらないのです。スペースシャトルや宇宙ステーションが飛んでいるのは高度400キロメートル程度であり、高度100キロメートル以上は宇宙とはいわれるものの、地球の大気圏は高度500キロメートルまでありますからね。

アポロ計画というのはそれだけ壮大で規模が大きいとんでもない計画だったんですね。

アポロ計画がスタートしたのは1961年のこと。当時は米ソ冷戦の真っ只中であり、アメリカとソ連が直接的には交戦しないものの、あらゆるジャンルで激しい競争をしていました。

当時、ソ連が打ち上げた宇宙船ボストークがユーリィ・ガガーリンを乗せって初の有人宇宙飛行に成功しました。そして、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディはアメリカは1960年代中に月に人を到達させると宣言したのです。

アポロ計画そのものは1960年のはじめには存在していたものの、予算の見通しも立たず、微妙な状況だったのですが、この大統領の宣言によって本格的に動き出しました。しかし、この時点ではアメリカは宇宙開発分野でソ連に大きな遅れをとっていて、なんとか弾道飛行するロケットを有人で飛ばしたことがある程度でした。

しかし、目標が明確になったことによりアメリカの宇宙開発は急ピッチで進み、アポロは8号で月まで到達し、周囲を回って地球に帰還。その後11号が月面に着陸し、最後の17号までに7回の有人での月面着陸に成功するという偉業を成し遂げました。

アポロ11号では艦長であるニール・アームストロングが月面に初めて降り立った人物として有名ですが、アポロは基本的に3人乗りであり、マイケル・コリンズ、バズ・オルドリンの2名も乗っていました。

11号で初めての月面着陸に成功してから、17号まで7回の月面着陸計画が実施されました。ところが、13号では月に向かう途中で機械船の酸素タンクが爆発し深刻な電力と水の不足に見舞われました。この事故では重大な危機を乗り越え地球への生還を果たしたことで「栄誉ある失敗」ともいわれています。

17号のあとは月への飛行は行われることはなく、アポロ計画は宇宙ステーションを打ち上げるスカイラブ計画へと引き継がれていくことになります。そして、最終的には予算の削減により規模を縮小していくことになります。

月への到達は世界を熱狂させたものの、その後は次第に莫大な予算がかかるお荷物とみなされるようになっていったようですね。

ところで、アポロに搭載されていたコンピューターはファミコン以下の性能なんて話を聞いたことありませんか?雑学のネタによく使われます。

たしかにアポロに搭載されていたアポロ誘導コンピューターは性能が低いものでした。メモリは2kBだったといいますから、今の8GBとかのパソコンになれた身だとびっくりします。

しかし、宇宙船に搭載するとなるとサイズや重量も限られますし、あえて信頼性重視で誤動作が少ないシンプルな構造のものが使われたのでしょう。ちなみに、アポロからの信号を受けて計算し、司令を返していた地上のコンピューターはもっとずっと高性能なものだったようですね。

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