夏の風物詩!蚊取り線香の開発エピソードを3分でまとめる | 今日の雑学

夏の風物詩!蚊取り線香の開発エピソードを3分でまとめる

季節の雑学
この記事は約3分で読めます。

暑い夏に現れるにくい蚊。噛まれると痒くてたまらないですね。それに蚊は病気を媒介するので世界で一番人間を殺した生き物ともいわれるほど。できれば見たくないですよね。

その蚊を追い払ってくれる強い味方が蚊取り線香です。うずまき型の蚊取り線香は夏の風物詩でもありますよね。最近は火を使わない虫除けも多くでていますが、今でも昔ながらの蚊取り線香を愛用している方も多いでしょう。

この蚊取り線香を開発したのは日本人の上山栄一郎という人物。大日本除虫菊株式会社(ブランド名・金鳥)の創業者です。今でも蚊取り線香といえば金鳥ですね。

上山は1885年にアメリカの植物会社の社長と面会し、いくつかの植物の種などの取引をとりつけます。その後、輸入された植物の中から荒れた土地でも育てることができる除虫菊に注目します。除虫菊には虫が嫌う成分があり、蚊などを追い払うことができるのです。

「除虫菊は需要もあるし荒れた土地でも育てることができる。貧しい農民の収入源になり、輸出すれば国のためにもなる」と考えた上山は除虫菊の栽培を普及させるために活動をはじめます。

最初は収穫した除虫菊を粉末にして、そのまま撒いたり、火鉢などに入れて使ってみたのですが、あまり使いやすいものではありませんでした。

初めて除虫菊を収穫した1年後の1888年。上山は東京滞在中に宿泊した宿でたまたま線香屋と知り合い、蚊取り線香のアイデアを得ます。そして、1890年には世界初の蚊取り線香の開発に成功し、販売を開始しました。

この蚊取り線香は大ヒット商品となり、除虫菊の生産も広まりました。

しかし、このときの蚊取り線香は今のようなうずまき型ではなく、よくお仏壇などに供える線香を大きくしたような棒型。1本では30分くらいで燃え尽きてしまうものでした。

そこで、上山栄一郎の妻であった上山ゆきが長い時間使えるうずまき型の蚊取り線香を思いつきます。うずまき型の蚊取り線香は試作開始から7年かけて1902年に発売されます。これが現在の蚊取り線香の原型と言えるものですね。

当時はまだ機械化が進んでいない時代。うずまき型の蚊取り線香は人の手で巻いて作っていました。ところが蚊取り線香は燃やすものなのでうずまき型にするときにただ巻くのではなく隙間を作る必要があります。これが難しかったんですね。もちろんゆっくりならできますが、スピードが出ないわけです。

そこで2本まとめて巻く方法が取られました。2本まとめて巻くことで使うときに1本ずつ取り外せばちょうど隙間があくというわけです。

しかも2本まとめて巻くことで運搬中に折れづらく、スペースも節約できるというメリットも生まれました。

その後、うずまき型の蚊取り線香は人の手で巻くのではなく、機械で型を使って打ち抜いて作られるようになりました。また、線香の成分なども改良されています。しかし、今でも基本的な仕組みは同じですね。

ちなみに、金鳥の蚊取り線香って左巻きなのは知っていましたか?この左巻きの蚊取り線香は世界でも金鳥だけだそうです。

もともと人の手で巻くときは右利きの職人が巻きやすい右巻きの方が都合がよく、金鳥も右利きで作っていたのですが、機械化されるときに、他のメーカーと差別化しようということで左巻きに変更されたそうですよ。

タイトルとURLをコピーしました