板垣退助といえば自由民権運動の主導者で、遊説中に襲われて「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉を残した人物として知られていますね。そのため板垣はこのときに殺されたものだと誤解している方も多いようです。
しかし、実際に襲われて短刀で刺されたものの死に至ることはなく、無事に回復しています。そして、事件のあと37年ほど生き、亡くなったのは82歳のことでした。当時としてはかなりの長生きですね。
襲撃事件を起こしたのは小学校の教員であった相原という男で、板垣が行っていた民権運動に強い反発心を持っていとそうです。
逮捕された相原は板垣が助命を訴えたことにより極刑を免れ無期懲役となります。その後、相原は大日本帝国憲法発布の恩赦により保釈され、板垣に謝罪に訪れたといいます。板垣は自分を殺そうとした相原を許したといいますからやはり立派な人物ですね。
しかし、相原のその後は謎が多いのです。板垣のもとを訪れたあと、北海道の開拓地へ渡る船に乗ったのですが、船上で姿を消すのです。自殺した、殺されたなど様々な説がありますが有力な証拠はありません。板垣襲撃自体にもなにか陰謀めいたものを感じてしまいますね。
ところで、有名な「板垣死すとも自由は死せず」という言葉。襲われたときに板垣が言ったことになっていますが、どうも事実ではないようです。板垣自身は「声もでなかった」と振り返ってます。
有力な説の一つとして、この言葉は板垣の秘書であった内藤魯一の言葉であり、板垣にカリスマ性を持たせたかった内藤が自分ではなく板垣が言ったと改変したといわれています。