お店に並んだ商品を選んでお会計をして持ち帰る。コンビニやスーパー、デパート、専門店など今ではどこの店でも当たり前の定価店頭販売ですが、この定価店頭販売を世界で初めて行ったのは日本の越後屋なのです。
江戸時代の初期にあたる1673年のこと、三井高利という人物が江戸に「三井越後屋呉服店」という店を開きました。この店はのちに越後屋と改名、さらに現在の三越デパート、そして日本有数の財閥である三井財閥の元になります。
当時の呉服屋はいわゆる店舗がないのが当たり前で客の注文を聞いて見本を用意したり、売りたい商品を得意客の自宅に持っていって売り込みをしたりする方法が一般的でした。注文を受けて商品を納めても支払いは後払いで年に1回か2回ほど決まった時期にまとめて払う方法が取られていました。
しかし、この方法では一度に多くの客を相手にすることはできず、支払いの回収も大変でした。そのため商品の値段も高かったのです。
そこで高利は「店前売り(たなさきうり)」といって店舗に商品を並べて客に見せて売る方法をとりました。
また、当時は商人があらかじめ高い値段を伝えて客が値引き交渉をするというやり取りが一般的でした。高利は「現金掛値なし」といって、商品に値札をつけて定価を提示するようにしたのです。
これが現在では当たり前となった定価店頭販売の元祖だといわれているのです。そして、越後屋に改名してからは呉服以外にも様々な商品を扱い、商売を広げ、現在のデパートの原型ともいえるお店になっていきます。
世界初のデパートといわれるのフランスの「ボン・マルシェ」が創業したのが1852年のことですから、越後屋は世界を150年以上も先取りしていたのですね。
高利は呉服屋の時代から反物(布地)の切り売りやいまでいうイージーオーダーのような簡易な仕立て売りといった新しい商法を取り入れ、庶民の需要を掘り起こしたといいます。越後屋に改名後もただ仕入れたものを売るのではなく、客のニーズの把握、生産から販売までを管理して日本一とも言える小売店になていくのです。
また、一説によると高利は世界で初めて広告の効果がどれくらいあるかを検証したともいわれています。広告効果測定が一般的になるのは20世紀になってからで、近代になってから開発されたマーケティング手法も実践しているという、まさに驚くべき商才です。
マネジメントの提唱者として有名なピーター・F・ドラッカーも著書「マネジメント」の中で、高利をマーケティングの元祖として書いています。
マーケティングは1650年ごろの日本において、三井家の創業者によって考案された。その人物が江戸に上って開いた店は、百貨店のさきがけと呼べそうである。彼はシアーズ・ローバックの基本方針を、すでに250年も前に先取りしていた。
出典:マネジメント1巻(ピーター・F・ドラッカー著)
そうそう、越後屋と聞くと「越後屋、お主も悪よのぉ」という悪代官のあのセリフが思い浮かぶという方も多いのではないでしょうか?でも実際の越後屋は悪代官と結託して悪事を働いたという記録はありません。
当時の江戸は地方からの出稼ぎ労働者で溢れかえっていました。幕府は江戸に出稼ぎに来るのを規制しなければならなかったほどです。現在も上京者は多いですが当時も同じだったんですね。
越後は現在の新潟県付近にあたる地名です。越後の国から江戸にでてきた人が商売をするときには出身地を屋号に名乗ることも多かったため、高利の開いた越後屋以外にも越後屋を名乗る商人は多くいたようです。
しかし、おそらくは高利の開いた越後屋が江戸を代表する商店として有名なために名前を使われるようになったのでしょうね。なにせ、越後屋は江戸の中期には豪商となって財政が苦しい藩や幕府にすら資金を貸し、大名も頭が上がらないほどの力があったとも聞きますから。