歴史の雑学 | ページ 2 | 今日の雑学

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鵜匠は国家公務員?鵜飼と鵜の雑学

鳥の鵜を使って川魚を採る鵜飼。日本では岐阜県岐阜市の長良川で行われるものが有名ですね。 鵜飼は鵜の首を紐で締めてエサとなる鮎などの魚を飲み込めなくして離し、その後、喉に溜まった鮎を吐き出させるという漁の方法です。 鵜飼は川で行われますが、鵜飼に使われる鵜はウミウといって海岸沿いに生息しています。鵜飼に使われる鵜のほとんどは茨城県日立市の伊師浜海岸で捕らえられたものです。 鵜飼の歴史は古く、日本書紀や古事記にもその記録があります。現代では魚を採る目的というよりも、観光資源として見世物として行...
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すべり台が発明されたのは20世紀になってから!

世界初のすべり台は1922年にイギリスのウィックスティードパークという公園に設置されました。20世紀に入ってからのことで、とてもシンプルな遊具なのに、意外にも最近の話だと思いませんか? 同じく公園でよく見かけるブランコの原型は紀元前2000年ころにはすでにあったという話もありますしね。ウィックスティードパークに初めて設置されたすべり台は、木製でただの真っ直ぐな板でした。今のようにすべる面の横に立ち上がりのある構造ではないため、気をつけてすべらないと、転がり落ちてしまうようなものでした。 今は...
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世界で初めて定価店頭販売をおこなったのは日本の越後屋!ドラッカーも認めたマーケティングの元祖とは?

お店に並んだ商品を選んでお会計をして持ち帰る。コンビニやスーパー、デパート、専門店など今ではどこの店でも当たり前の定価店頭販売ですが、この定価店頭販売を世界で初めて行ったのは日本の越後屋なのです。 江戸時代の初期にあたる1673年のこと、三井高利という人物が江戸に「三井越後屋呉服店」という店を開きました。この店はのちに越後屋と改名、さらに現在の三越デパート、そして日本有数の財閥である三井財閥の元になります。 当時の呉服屋はいわゆる店舗がないのが当たり前で客の注文を聞いて見本を用意した...
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スリッパは日本発祥!もともとは靴の上から履くものだった

スリッパは日本発祥って知っていましたか? 海外にも「slipper(スリッパー)」という履物はありますが、日本で一般的にスリッパと呼ばれる上履きとは別物です。海外のスリッパには上履きの意味はなく、サンダルのイメージに近いものです。 明治時代になりそれまでの鎖国が解かれると、多くの外国人が日本にやってくるようになりました。日本では室内では靴を脱ぐのが一般的ですが、西洋では室内も土足が一般的。そのため西洋人が土足で室内にあがるトラブルがおきていたといいます。 そのトラブルを解決するために徳野利...
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江戸時代にはうんこの値段も身分次第だった!

現代のように科学肥料が使われるようになる前は、人の排泄物も貴重な肥料でした。だからトイレに溜まったうんこ(尿も入ってますが)は役に立つものとして売り買いされていたのです。 このうんこの値段はトイレのある場所によって異なり、より良い食生活の人が集まる場所のうんこに高い値段がつけられました。 大名屋敷から出るうんこは高く、一般庶民の住む長屋から出るうんこは安かったわけですね。いろんな人が集まる辻便所(公衆トイレ)がちょうど中等くらいの扱いだったようです。 この他、尿の割合が高い水っぽいものは安...
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発明王エジソンは電球を発明していない

生涯に約1300もの発明や重要な技術革新を行い、発明王と呼ばれるトーマス・エジソン。そのエジソンのもっとも代表的な発明といえば何を思い浮かべますか? エジソンの発明ときいてまず思い浮かぶのは白熱電球ではないでしょうか?しかし、白熱電球を発明したのはエジソンではありません。 白熱電球を発明したのはイギリスのジョセフ・スワンです。スワンは1848年ごろから電球の研究をはじめたとされ、1960年にはイギリスで特許を認められます。さらに1978年、研究開始から実に30年目にして、現在の白熱電球と同じ...
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本能寺で死んだ織田信長の最後を知る生き残りはアフリカの黒人だった

日本の戦国時代で最も有名な武将といえば織田信長ではないでしょうか。天下統一を目前に死すも、秀吉の天下統一の下地を作ったのは紛れもなく信長でしょう。 その信長が明智光秀に本能寺で討たれる、いわゆる本能寺の変は日本史のなかでもとても有名な事件ですね。 本能寺の変では織田側はほとんど殺されるか自害してしまいました。しかし、わずかに生き残ったものもいたのです。その中に弥助という人がいました。弥助は、織田信長に使えた史上初の黒人武士でした。 本能寺の変で誰が生き残ったのかは資料によって異...
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電話を発明したのはグラハム・ベルではなくアントニオ・メウッチ

電話を発明したのは誰か?と聞かれればほとんどの方が「グラハム・ベル」と答えるでしょう。ベルが助手のワトソンに試作品の電話で「ワトソン君、来てくれ」と呼びかけたのが電話での初めての会話だというエピソードはとても有名です。 ベルは、1876年にアメリカで電話の特許を申請して、電話の発明者と認められました。 ところが、2002年、アメリカの議会は電話を発明したのはベルではなく、イタリア人の「アントニオ・メウッチ」であるという決議をしたのです。これにより、電話を発明したのは正式にメウッチであるという...
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