時代劇のヒーロー水戸黄門こと徳川光圀は本当に善人だったのか?辻斬りなどの蛮行や重税などの悪政を行っていた | 今日の雑学

時代劇のヒーロー水戸黄門こと徳川光圀は本当に善人だったのか?辻斬りなどの蛮行や重税などの悪政を行っていた

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「この印籠が目に入らぬか!」の決め台詞で有名な水戸のご老公、水戸黄門こと徳川光圀。日本中を旅して庶民を苦しめる悪を退治する時代劇のヒーローですね。まぁ、「この印籠が目に入らぬか!」と言っているのは格さんですけど。

ここ数年、時代劇の人気低迷とともにあまり見かけなくなってしまいましたが、何十年もテレビドラマが放送されていました。僕が子どものころはよく見ていましたね。ドラマは見たことがないという方でも水戸黄門の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか?

水戸黄門のイメージから徳川光圀は人格の優れた思いやりのある人物だったと思っている方も多いのではないでしょうか?

しかし、実際には若い頃には刀の試し切りに無関係の人物を殺害する辻斬りを行ったとか、藩主になってからも、八公二民(税率80%)ともいわれる超重税を強いたため領地を逃げる農民が多く出たとか、大名などを招待して開催した接待の場で家老を斬り殺したとか、とても人格が優れているとは思えないエピソードが満載です。

若い頃の光圀はかなりのヤンチャで、兄との複雑な関係があり、まぁ、グレていたようです。勉強は大嫌いで、その頃のはやりであった三味線を弾いたり、派手な格好を好み品のない話をしたりして、徳川家康の孫とはとても思えないうつけ(バカ)者といわれていました。

後年、光圀が自分の若い頃の話として侍医であった井上玄桐に辻斬りを行ったことを告白しています。この話は「玄桐筆記」に記録されています。

知人に辻斬りに誘われた光圀は、一度は断ったものの臆病者といわれ、なんの関係もない人を捕まえて斬り殺してしまったのです。当時は、武士が庶民を切っても「切り捨て御免」で許されると誤解している方もいるかもしれませんが、実際にはいくら武士が偉いといっても辻斬りは重罪でした。しかし、後年告白していることを考えると、光圀の辻斬りは当時は発覚しなかったということなのでしょう。

辻斬りを後悔した光圀は、その後反省して辻斬りに誘った知人と付き合いを断ったということです。でも、個人的には誘われたからってやったのは自分なのに、なんだか全部知人のせいだと言わんばかりな気がして、それはそれでどうなのかと思いますけどね。

その後18歳になった光圀は、中国古代の司馬遷が書いた「史記」を読んで感銘を受け、それからは気持ちを入れ替えて勉学に励むようになったと伝えられています。その後は真面目に暮らし、34歳で水戸藩の第二代藩主になりました。

しかし、藩主になってからも光圀はどうも名君とは言い難い行いをしています。

もともと水戸藩は光圀の代になる前から年貢が高かったのですが、光圀の代でさらに厳しい重税をしいるようになり、一説には八公二民(税率80%)ともいわれる重税だったそうです。実際には8割は大げさで5〜6割程度というところでしょうが、それにしても大変な重税です。

当時の年貢(税)は田んぼと畑の広さや生産力を調べて決めていました。これを検知というのですが、基本的には豊臣秀吉が全国で行った太閤検地というものが元になっています。光圀が藩主になる前から、水戸藩では太閤検地で六尺三寸を一歩(坪)としたのを六尺を一歩に改めることで、1割強の増税をしたのです。さらに、こうした年貢への反発には厳しい姿勢で対抗し、検知の免除を願い出た庄屋を処刑したりもしています。

このように光圀が藩主になる前から水戸藩は年貢が高く、それでも財政はあまり芳しくなかったのですが、ここで光圀がさらに状況を悪化させます。それが「大日本史」の編纂です。

文化事業としては高く評価されることもある「大日本史」ですが、大事業のためにとてもお金がかかりました。当時、水戸藩の支出の1/3を占めるといわれるほどの出費で、これにより水戸藩の財政は悪化し、さらに民衆を苦しめることになっていくのです。

また、晩年には家老の藤井紋太夫を自ら殺害するという事件を起こしています。水戸藩の江戸の上屋敷で大名などを招いて行われた接待の日に、その会場の控室のようなところで殺害したそうです。

殺害の動機は、藤井紋太夫が大名になる野望を抱いて水戸藩を乗っ取ろうとしていたからだとか、幕府の有力者のスパイだと疑ったからだとか、いろいろといわれていますが証拠となるような事実がなく、よくわからないというのが実際のところでしょう。

動機によっては、当時としては正当な処刑だったのかもしれませんが、それにしてもシチュエーションが奇妙ですし、自ら斬り殺す必要性が不明です。どうも野蛮な印象を受けてしまいますね。

もちろん、徳川光圀も、良いこともしたのでしょうし、悪い面ばかりではないでしょうが、テレビドラマで見るような善人とはちょっと思えないですよね。

まぁ、とりあえず、光圀は諸国漫遊をしたり、ドラマのように悪人と戦ったという事実はないということだけは確実です。

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