夏に花火大会をするのは死者の霊を弔うため!?隅田川の花火大会のデマと花火の雑学まとめ | 今日の雑学

夏に花火大会をするのは死者の霊を弔うため!?隅田川の花火大会のデマと花火の雑学まとめ

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花火といえば夏の風物詩。家族や友人で行う手持ち花火なども楽しいですが、花火大会などで行われる大規模な打ち上げ花火も日本の夏には欠かせないものですよね。

ところで、花火は夏でも冬でも行うことができます。テーマパークなどでは一年中打ち上げ花火を上げているところもありますよね。それなのになぜ夏に花火大会を行うことが多いのでしょうか?

夏に花火大会を行うようになったのは隅田川の花火大会が最初であると思われます。隅田川で船遊びが許された夏の期間の最初の日に行われたものです。

隅田川の花火大会は江戸時代の中期におきた享保の大飢饉とコレラの流行ででた多くの死者の霊を弔うためにはじめられたという説が広く知られています。ところが、この死者の霊を弔うためという理由は明治時代以降に作られたデマであるということがわかっています。

例えばコレラが日本ではじめて流行したのは江戸時代も後期の1822年であり年代があいません。しかも西日本を中心にしたもので江戸で開かれた花火大会とはイマイチつながりません。

実際には当時江戸で人気のあった鍵屋と玉屋の2つの花火屋が宣伝のために行っていたのではないかと思われます。

もともと江戸で本格的に花火の制作を開始した鍵屋があり、そこから暖簾分けで玉屋ができて2大体制となったそうです。鍵屋と玉屋は別々の場所から交互に花火を打ち上げ、観客は良いと思った方の名前を呼んで讃えたといいます。この時のかけ声が「たまやー」「かぎやー」という花火のかけ声の由来になっているのですね。

鍵屋と玉屋では玉屋の方が人気が高く、一時は観客がみんな玉屋の名前ばかり呼ぶといわれた時代もあったのですが、玉屋が失火により大火事をおこしてしまい1代で取り潰しになってしまったのです。

ちなみに日本に花火が伝わったのは鉄砲伝来の後だと考えられています。鉄砲とともに火薬やその応用である花火が日本にやってきたのですね。

しかし、鉄砲は戦国時代に伝わり、戦乱の時代では火薬は貴重であったため、花火のような娯楽に使われることありませんでした。そして、日本で初めて花火を見たのは戦乱の世を納めた徳川家康だと言われています。

戦の道具であった火薬が娯楽に使われるようになったのは日本が太平の世になった証であったのかもしれませんね。

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