江戸時代には身分の高い女性がおならをしたら「私がした」と言って身代わりになる仕事があった | 今日の雑学

江戸時代には身分の高い女性がおならをしたら「私がした」と言って身代わりになる仕事があった

おなら歴史の雑学
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人前でおならをすると恥ずかしいものですが、おならそのものは生理現象で誰でも出るものです。

おならの回数はどれくらいが正常化というと、いろいろな資料などを見ると1日平均5,6回というものから14,5回、なかには20回と研究者によっても意見が別れているところのようです。しかし、いずれにしろ1日に数回はおならをするのが当たり前ということですね。

しかし、それでも人前でするのは恥ずかしい。自宅ならともかく、外出中であればトイレなどに行くか人気のないところでこっそりするのがマナーというものです。とはいえ、突発的に出てしまうこともあるので困りものですけどね。

そんなおならですが、江戸時代には身分の高い女性の側に控えていて、その女性がおならをしたときに身代わりになる仕事があったそうです。屁負比丘尼(へおいびくに)と呼ばれた尼僧で、普段は身の回りの世話をしながら、もしものときには「私がしました」と言って身代わりになるわけです。

屁負比丘尼はおなら以外にもはしたない行いや恥ずかしいことがあると身代わりになっていたそうで、どれだけ過保護なんだと思いますが、当時は人前でおならをしてしまったという理由で自殺した人もいたそうですから今の感覚とは違うのでしょうね。

ある意味、身分の高い女性が潔癖を求められた、女性として完璧を求められた生きづらい時代だったのかもしれませんね。

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