日本の戦国時代で最も有名な武将といえば織田信長ではないでしょうか。天下統一を目前に死すも、秀吉の天下統一の下地を作ったのは紛れもなく信長でしょう。
その信長が明智光秀に本能寺で討たれる、いわゆる本能寺の変は日本史のなかでもとても有名な事件ですね。
本能寺の変では織田側はほとんど殺されるか自害してしまいました。しかし、わずかに生き残ったものもいたのです。その中に弥助という人がいました。弥助は、織田信長に使えた史上初の黒人武士でした。
本能寺の変で誰が生き残ったのかは資料によって異なり、研究者によっても意見が違うのですが、弥助は本能寺の変のあとの行動も記録に残っており、信長の側近のなかで確実に生き残っていたといえる唯一の人物です。
弥助はイタリア人の宣教師・ヴァリニャーノによってインドから連れられて日本にやってきた奴隷でした。もともとの生まれは東アフリカ(現モザンビーク)の付近であったそうです。
最初はヴァリニャーノが信長に接見したさいに珍しい見世物のひとつとして連れられたようです。黒人を初めて見た信長は肌を黒く塗っているのだと思い、体を洗わせたといいます。
その後、弥助を気に入った信長はヴァリニャーノよりこの黒人を譲り受け「弥助」という日本人の名前と武士としての位を与えて側においたのです。弥助を大変気に入った信長はいずれは城を与えて一国の城主にしようと考えていたほどでした。
弥助は本能寺の変のときも信長の側にいたのですが、信長が自害するとすぐに二条城に向かい後継者の織田信忠を守るため明智軍と戦いました。その後、戦に破れ投降したものの、光秀は弥助を殺さず南蛮寺に送ったといいます。
南蛮寺に送られてからの弥助のゆくえについてはいくつか説があるものの、決め手はなくどうなったのかは不明です。